横浜地方裁判所横須賀支部 平成6年(ヨ)7号 決定 1994年8月12日
債権者
株式会社かまくら春秋社
右代表者代表取締役
伊藤玄二郎
右代理人弁護士
輿石英雄
同
間部俊明
債務者
学校法人神奈川歯科大学
右代表者理事長
久田太郎
右代理人弁護士
中島敏
同
中山吉弘
右中島敏輔佐人弁理士
井沢洵
主文
一 債権者の申立てをいずれも却下する。
二 申立費用は債権者の負担とする。
事例
第一 当事者の求めた裁判
一 申立ての趣旨
1 債務者は、「湘南文學」又は「湘南文学」との題号を付して雑誌・定期刊行物その他の印刷物を発行し、販売し、又は頒布してはならない。
2 別紙印刷物目録記載の印刷物に対する債務者の占有を解いて、横浜地方裁判所横須賀支部執行官にその保管を命ずる。
3 前項の場合において執行官は、その保管に係る印刷物につき、債務者より「湘南文學」との標章を抹消削除する旨の申出があったときはこれを許し、右標章を抹消削除した印刷物を債務者に返還しなければならない。
二 申立ての趣旨に対する答弁
主文一項同旨
第二 当事者の主張
一 申立ての理由
1(一) 債権者は、書籍・雑誌の刊行及び販売、情報産業に関する機関紙の刊行及び販売等を業とする出版社である。
(二) 債務者は、歯科医師を養成する神奈川歯科大学のほか、附属歯科技工専門学校及び湘南短期大学(以下「湘南短大」という。)を設置する学校法人である。
2(一) 平成二年七月二五日、湘南短大三田英彬教授(以下「三田」という。)は、債権者代表者伊藤玄二郎(以下「伊藤」という。)に、学内雑誌の制作を債権者に依頼したい旨の相談をしたところ、伊藤が、大学と湘南文化人・湘南市民が一体となった、湘南の地に根差した文芸誌を作ったらどうかと提言した。債務者は、単なる学内雑誌ではなく、市民に開かれた文芸誌を作ることを決定した。
そして、文芸誌の制作には、地元横須賀市の理解と協力が必要であることから、平成二年一二月一三日、横須賀市役所において、門脇稔(以下「門脇」という。)湘南短大学長ら債務者の関係者、伊藤、横須賀市教育長が会談を持ち、その場で、債務者が「湘南文學」という題号で文芸誌を発行することが決定された。
(二) 「湘南文學」創刊号は、平成三年四月六日刊行され、以後、同年一一月二五日、同四年四月六日、同年一〇月一五日、同五年四月六日と本件仮処分申立時までに第五号まで刊行された。
「湘南文學」の発行は、形式的には、湘南文學編集委員会が編集を担当し、債権者は発売・制作を担当することになっていたが、各号の編集につき編集委員会が開かれたことはほとんどなく、実際は出版社である債権者が編集の大部分を行っており、「湘南文學」の発行は、実質的に、債権者がその編集・発売・制作を担当していた。すなわち、「湘南文學」創刊号を刊行した後、債権者は、「湘南文學」事務局を引き受けることを債務者との間で合意し、以後第五号まで「湘南文學」の発行に係る事務全般を行うようになった。そして、後記のように、東海大学からのクレームの処理や、債権者からの商標登録を行う中で、「湘南文學」の発行は、債務者の単独事業ではなく、少なくとも一〇号まで発行することを目的とした債権者と債務者との共同事業であるとの合意が成立した。
(三) 「湘南文學」創刊後、同名の機関誌(紀要)を出していた東海大学日本文学科が、「湘南文學」という題号を使用することについてクレームを付けてきたため、平成三年七月八日、編集委員が東海大学に赴き、「総合文芸誌」というサブタイトルを入れることで事実上東海大学の合意を得た。
そして、同年七月一一日ころ、今後第三者により同様の問題が起こらないようにするために、債権者の提案に基づき債務者との話し合いにより、「湘南文學」という題号について商標登録を受けることになったが、債務者が商標登録をうけることは、東海大学との間で再びトラブルを発生させるおそれがあり、また、今後学内の事情等により「湘南文學」の発行ができなくなると、定期購読者や連載中の執筆者等に迷惑を掛けるおそれもあるとして、債務者理事長久田太郎(以下「久田」という。)の提言により債権者が商標登録を取得することになった。
(四) 債権者は、平成三年七月一六日、債権者の費用をもって別紙商標目録記載の商標(以下「本件商標という。)について商標登録の出願をし、同五年一一月三〇日、別紙登録商標目録記載の登録(以下「本件登録商標」という。)を受けた。
したがって、債権者は、本件商標について商標権を有している。
3(一) 「湘南文學」は、当初、少なくとも一〇号まで発行する予定であり、債権者もそのつもりで一五号までの企画案を債務者に提出していた。しかし、その後、債務者は、「湘南文學」に掲載されていた写真等で債権者が著作権を有していた写真二〇点を、債権者に無断で、債務者発行の「湘南文学の旅」という単行本(平成五年四月一日発行)に転載した。
債権者は、この点について、債務者に謝罪を求めたところ、債務者は、平成五年九月二二日、「湘南文學」編集委員会を解散する旨を伊藤に通告した。
(二) 「湘南文學」は、継続発行を前提として創刊されており、債権者の依頼した執筆者によるエッセイも連載中であるため、債務者が編集委員会を一方的に解散し、これにより「湘南文學」の発刊ができなくなれば、読者や執筆者に多大な迷惑を掛けることになるとともに、出版者としての債権者の信用も失われることになる。
(三) そこで、債権者は、債権者独自で「湘南文學」の発行を継続しようとしたところ、平成五年一二月一四日付け読売新聞(朝刊)湘南版に、債務者が「湘南文學」来春号(平成六年四月一日刊)において夏目漱石を特集し、市民から「私の漱石」の原稿を募集しているとの記事が掲載された。そして、債務者は、本件仮処分事件が審理中であるにもかかわらず、平成六年四月二〇日、「湘南文學」第六号を刊行し、第七号以降の「湘南文學」を継続して発行することを明らかにしている。
(四) 債権者は、債務者を被告として本件登録商標の商標権に基づき商標の使用差止めを求める民事訴訟を提起すべく準備中であるが、債務者が今後も本件商標を使用して雑誌を発行すると、債権者の有する本件登録商標による商標権が侵害されることになる。
二 申立ての理由に対する認否
1 申立ての理由1(一)は知らず、(二)は認める。
2(一) 同2(一)のうち、債務者が市民に開かれた文芸誌を作ることを決定したこと、債権者主張の年月日に横須賀市役所で会談が持たれたことは認め、その余は否認する。
(二) 同2(二)のうち、「湘南文學」が債権者主張の年月日に第五号まで刊行されたこと、「湘南文學」の発行に際し、湘南文學編集委員会がその編集をし、債務者が債権者に対して右雑誌の制作・販売の実務担当を委嘱したことを認め、その余は否認する。
(三) 同2(三)のうち、今後学内の事情により「湘南文學」の発行ができなくなった場合、定期購読者や連載中の執筆者などに迷惑を掛けることになるとの理由であったこと及び債務者理事長久田の提言によるとの点を否認し、その余は認める。
(四) 同2(四)のうち債権者名義で商標登録がされたことは認め、その余は不知。債権者が商標権を有しているとの点は争う。
3(一) 同3(一)のうち、債務者が平成五年九月二二日、湘南文學編集委員会を解散する旨を伊藤に通告したことを認め、その余を否認する。
(二) 同3の(二)は否認し、(三)は認め、(四)は不知ないし否認する。
三 債務者の主張
1 本件商標の実質的権利者は、債権者ではなく、債務者であるから、債権者は、債務者に対し、本件商標の使用の差止めを求めることはできない。
2 債権者は、債務者の指示により、その代理人として本件商標の登録の出願をしたに過ぎず、これを奇貨として雑誌「湘南文學」の発行権を債務者から奪い取り、かつ、債務者の業務を妨害する目的で、本件仮処分を求めているもので、債権者が商標権を有するとしても、本件仮処分の申請は権利の濫用である。
四 債務者の主張に対する認否
1 同1のうち、本件商標の実質的権利者が債務者であるとの点は否認し、その余の主張は争う。
2 同2のうち、債権者が本件商標について商標権を有しているとの点は認め、権利の濫用であるとの主張は争い、その余の事実は否認する。
第三 当裁判所の判断
一 本件記録によれば、次の事実を認めることができる。
1 債務者は、湘南短大を設立して平成元年から開校していたが、同年六月、湘南短大の学科長会議において、同短大の知名度を上げるとともに、従前の研究雑誌の枠を越えた幅の広い雑誌を発行してはどうかとの提案があり、同年九月二〇日、同短大国文学科奥出健助教授が、「湘南文学」という題号で雑誌を発刊するに当たっての綱領を作成した。平成二年三月一四日、湘南短大国文学科教員協議会において、「湘南文学」の発刊が決定し、三田が雑誌制作の中心となって、出版社等の調査・交渉を担当することになり、三田は、同年七月二五日、債権者代表者伊藤に雑誌の発刊を打診した。そして、同年一〇月九日開催された第一回準備会において、湘南文学の発刊は、湘南短大国文学科の枠を越えた全学的な広がりを持つものとされ、神奈川歯科大学助教授赤羽根龍夫(以下「赤羽根」という。)が湘南の地において市民と文化人と大学が一体となった、地域に根ざした総合文芸誌として発刊してはどうかと提案し、それが採用された。同年一二月一三日、横須賀市役所において、門脇湘南短大学長ら債務者の関係者、伊藤、横須賀市教育長らが出席して、湘南文学発刊についての会合が持たれ、その場で、雑誌の題号を「湘南文學」とすることが決定された。
2 平成三年一月三〇日、債務者理事会において、「湘南文學」の発刊が許可されるとともに、湘南短大に編集委員会を設置し、債権者に制作を依頼することも決定された。編集委員会は、当時湘南短大国文学科長であった所一哉教授を編集委員長とし、三田、赤羽根、伊藤が編集委員となっていたが、第二号以降は、門脇湘南短大学長が編集代表となり、編集委員も、作家の三木卓氏、赤羽根、増淵勝一(以下「増淵」という。)湘南短大国文学科長、伊藤の四名になった。また、「湘南文學」を発刊するに当たり、赤羽根は、「湘南文學」という字体の選定・デザイン等を行い、債務者も、「湘南文學」創刊号発刊後、「湘南文學」の題号について、同一の商標登録がなされていないかどうかの調査を社団法人発明協会に依頼した。
3 「湘南文學」創刊号は、発行「湘南短期大学」、発行人「門脇稔」、編集「湘南文學編集委員会」、発売・制作「かまくら春秋社」として、平成三年四月六日発刊され、同年五月三一日発行の創刊号第二刷から、発行欄について「学校法人神奈川歯科大学 湘南短期大学」と改められたが、そのほかは、第五号まで同様の形で刊行された。各号の企画・編集は、編集委員である赤羽根や増淵が中心となって行い、「湘南文學」発行の費用は、雑誌に掲載される広告による収入を除き、そのほとんどを債務者が負担した。
4 「湘南文學」創刊号を刊行した後、同名の紀要を出していた東海大学から、「湘南文學」の題号についてクレームが付いたので、それに対処するため、平成三年七月八日、編集委員が東海大学を訪れて折衝し、「総合文芸誌」とのサブタイトルを入れることで、東海大学の了解を得た。これにより、債務者は、「湘南文學」という題号について商標登録の必要性を感じる一方、債務者の名義で商標登録を受けることは、東海大学との間で再び紛争が生じるおそれがあったことから、門脇編集代表は、編集委員であった伊藤に対し、本件商標について商標登録の手続を執るよう依頼した。そして、伊藤は、債権者名義で商標登録を出願し、本件登録商標のとおり登録を受けた。
その後、債務者は、平成五年四月一日に「湘南文学の旅」という単行本を発行したが、その本に「湘南文學」に掲載されていた写真等を転載したところ、その写真について著作権を主張する債権者との間でトラブルが生じ、また、債務者は、「湘南文學」第五号までの債権者の制作費が、当初の予算を越えて多額になっていたことから、債権者に不信感を持つようになった。そのため、従来の仕方で「湘南文學」第六号を発刊することが困難となり、債務者は、平成五年九月二二日、門脇編集代表の名義で「湘南文學」編集委員会を解散する旨を伊藤に通告し、一般からの原稿も募集して、「湘南文學」第六号の発刊を準備し、平成六年四月二〇日、「湘南文學」第六号を発刊した。なお、債権者も、同年三月二九日、季刊「湘南文學」一九九四年春号・第二巻一号(第六号)を発刊した。
二 以上の事実に基づいて判断するに、そもそも雑誌「湘南文學」は、債務者の発案により債務者が設置した編集委員会において編集され、債務者の費用により発行されていたもので、債権者は、債務者の依頼を受けて、第一号から第五号までの制作と販売を担当していたに過ぎなかったのであり、「湘南文學」の各号を刊行した者は、債務者であったと認めることができるから、これを債権者と債務者の共同作業であったとは認めることができない。また、債権者が本件商標を登録するに至ったのは、債務者の名義で登録することによって再び東海大学との間で紛争が生じる危険性を回避するためであったのであり、債権者は、本件商標の登録手続をなした後も、債務者が引き続き「湘南文學」の題号を使用して、第二号以下を発行することを承認していたのである。
してみると、本件商標の登録は、債務者が本件商標を使用して雑誌を発行し続けることを前提としてなされたというべきであるから、たとえ債権者が本件登録商標を得たとしても、それによって、債権者が債務者に対し、本件商標の使用を禁止できるというものではなく、その実態に照らせば、本件商標の実質的な権利者は債務者であると見ることもできるのである。
したがって、債権者は、債務者に対し、本件商標の使用の差止めを請求することはできず、債務者に対して、商標権を主張することはできないというべきである。
三 そうすると、債権者の主張は、その余の点を判断するまでもなく、理由がないから、債権者の申請をいずれも却下することとし、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官加藤一隆 裁判官大塚正之 裁判官末吉幹和)
別紙印刷物目録
一 誌名 「湘南文學」第六号
一 発行年月日 一九九四年四月二〇日
一 発行人 門脇稔
一 発行 学校法人神奈川歯科大学・湘南短期大学
別紙商標目録
別紙登録商標目録
一 商標登録番号 第二六〇一九六八号
一 出願年月日 平成三年七月一六日
一 出願番号 〇三―〇七四六四〇
一 出願公告年月日 平成五年六月一一日
一 出願公告番号 〇五―〇一八七八七
一 査定年月日 平成五年六月一一日
一 商品の区分 第二六類
一 指定商品 印刷物(文房具類に属するものを除く)、書画、彫刻、写真、これらの附属品
一 登録年月日 平成五年一一月三〇日
一 商標<省略>